道標は、永久に立ち続けるのだろうか?
清阪峠の道路標識の根元には、石に刻まれた道標が無造作に立てられています。この京都府亀岡市と大阪府茨木市の境界線上にある道標は、明治9年からここに立ち続けています。もうとっくに、役目を終えたにも拘わらず。
なぜ、役に立たない道標が今も存在しているのでしょうか。道の名称も街道から府道に、また社会も大きく変革したはずなのに。その理由は、何処にあるのでしょうか。思い浮かぶのは、「道標」の本質がそうさせるのかもしれません。
日本人には、道標を捨て去ることは難しい。なぜならば、この道を通る人、そして次に来る人によって歴史や文化と共に順に引き継がれる、「進むべき方向や分岐点が刻まれている。」と感じているからではないでしょうか。だから、時代に合わないと捨て去ることなどできない。そう、それが道標だから。
清阪峠・調査NO.29
- 日付:2013/02/03(日)
- よみ:きよさかとうげ
- 路線:大阪府道・京都府道43号(豊中亀岡線)
- 所在:京都府亀岡市東別院町栢原∧大阪府茨木市下音羽
- 座標:34.917152,135.556749
- 標高:290m
- 路面:オンロード
- バイク:CB1300SB
- おすすめ度:★★
清阪峠 Pickup Photo
大阪側から京都側に向っての画像。左側が旧道か?
京都側に向かうと、すぐに広がった景色になる。
従是南攝津國 大阪府支配(これより南は、摂津の国 大阪地区)、従是北丹波國 京都府支配(これより北は、丹波の国 京都地区)と刻まれている。
清坂峠の四方山話
大阪府道・京都府道43号(豊中亀岡線)は、明治25年以前は亀岡街道、それ以後は清阪街道と呼ばれていた時代があった。
編集後記
隣接の狩待峠は、清阪峠の西側に位置しますが西へ延びる道路がないので、府道43号を一度南下しなければなりません。この43号は、道路の全幅が1.5車線ぐらいしかありませんが、かなりうねっています。