常識的に考えるならば、重い荷物を担ぎながら歩く道なら安全で楽な道を選択するのが道理だ。それなら、なぜ数多くの険しい峠みちが存在するのでしょうか。川や谷沿いの低地を選んで歩く方が楽そうなのに、昔の人が峠越えを選択した理由は何だったんでしょうか。
運搬具との関係
トラックのような便利な運搬具が無かった時代は、人か使役動物である牛馬が荷物を背負い運びました。その運搬力は、牛馬が人間の約7倍です。したがって、道幅は牛馬の曳く荷車分のスペースが必要でした。
- 人間 : 約 20kg
- 牛馬 : 約 90kg~150kg
しかし、この重い荷物を運んでくれる牛馬には、重大な問題点がありました。それは、高い場所を怖がるという性質です。特に牛は、足元に空間があると、いくら引き摺っても怖がって動かなくなります。そのために河川に架ける橋が吊り橋のようなものでは、渡ることができませんでした。当時、橋を架けるという作業は、かなり困難を要したので、迂回するしかなかったのです。
日本の気候特性との関係
日本には梅雨という雨季があり、これが交通路の選択肢を狭める要因となりました。先に述べたように土木建築技術の無さから、橋は流れる物、半年も持てば十分だと認識されていました。このことかも河川や谷合いのルートが消去されることになりました。
それでは、雨水を避け橋を架けずに進める経済的で安全なルートとは、いったいどこだったのか。それが、「なぜ、昔の人は峠を越えを選択したのか?」という問いかけの答えになります。
経済的合理性があり安全なルートとは
そのルートとして選ばれたのが、分水嶺(雨水が異なる水系に分かれる場所)の低部である山の稜線です。そして、その稜線の最頂部のことを 『 峠 』 と呼ぶようになりました。峠は、必然性から生まれた生活に大切な場所だったのです。
私は、そんな峠を大好きなバイクで巡っています。