ここが峠に違いない。道路勾配に注意しながらバイクを走らせていると、必ず峠の位置を感じることができる。峠は、上り下りの切り替わる点。そう、線ではなく点なのだ。
だから「峠を攻める」というのは、間違った言葉の使い方になる。正しくは、「峠に至る道を攻める」。また、峠は道の一種ではない。固有の場所なのだ。
しかし生野峠には、このような理屈も通用しなかった。デカイ道路案内標識が無かったら、完全にスルーしていただろう。明治初期まで銀を満載した馬車は、姫路港へ向けてこの生野峠を越えていった。
生野峠・Pass Hunting NO.124
- 調査:
- 峠名:生野峠(いくのとうげ)、真弓峠とも呼ばれている。
- 路線:国道312号
- 所在:兵庫県神崎郡神河町猪篠∧朝来市生野町真弓
- 座標:35.143651,134.794626
- 標高:361m路面:オンロード
- レビュアー:峠ノ太郎(CB1300SB)
- おすすめ度: 2
兵庫県朝来市周辺には、生野峠と呼ばれている峠が3つある。他には、朝来市生野町口銀谷の生野北峠、朝来市生野町黒川と兵庫県丹波市青垣町大名草の国境の青垣峠となる。
生野峠の地図
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- PIN:生野峠
- A点:生野北峠
- B点:生野銀山
- C点:青垣峠
生野峠 Pickup Photo
PIN:朝来市生野町真弓側から見た生野峠。後方の車を見ても分かるように、勾配はゆるい。この立派な峠名の書かれた案内標識から、重要峠だったと推測できる。
PIN:峠の茶屋らしきものは、見当たらなかった。帰宅後、旧道がないかと電子地形図を見てみると、このバス停の裏側に短い距離だがその痕跡がみられた。
PIN:このような記号の書かれた標識をたまに見るが、何を示しているのかいまだに分からない。何なんだろうか。
生野峠の四方山話
生野峠のことを調べていると、「銀の馬車道」というロマンチックなネーミングに興味をそそられました。生野峠に関連する文章を「銀の馬車道公式サイト」がら抜粋してご紹介します。
876年(明治9年)に“日本初の高速産業道路”と言うべき「銀の馬車道」が完成しました。
「銀の馬車道」は、明治初期、生野銀山と飾磨津(現姫路港)の間、約49Kmを南北に結ぶ馬車専用道路としてつくられた道で、当時は「生野銀山道」「生野鉱山寮馬車道」と呼ばれました。
鉄道の開通とともに徐々にその役割を終え、1920年(大正9年)には廃止された馬車道ですが、その後は改修や路線変更工事を経ながら、今も大部分が県道や国道などとして使用されています。
このサイト内には、マップやパンフレットも豊富にあり、PDFでダウンロードもできます。朝来市生野町地域(生野銀山~生野峠コース)のウォーキングマップでは、バス停(峠の茶屋)の東側を通すようになっており、やはり旧道の可能性が高いと思います。
関連リンク
- 【生野峠へのツーリングルート】
≫ 生野銀山と兵庫県と京都府の峠を巡るツーリング - 【都道府県別・峠の一覧表】
≫ 兵庫県の峠、一覧表