2014-613=1,401
今から1,401年前、聖徳太子の命により竹内街道は日本最古の国道として造られた。人生50年とすると、28代にのぼる。そしてこの竹内峠が最大の難所となった。なんという歴史の長さだろうか。今日、その内の一瞬を切り取らさせて頂いた。
長い歴史のある道ほど、その語りかけてくるものは多彩になる。この竹内街道は、シルクロードの終着点として軍道として、そして大阪への商道として多くの人々が往来してきた。まさに日本の歴史を見つめてきた道だ。そんな歴史の語り部、竹内峠を訪ねる。
竹内峠・調査NO.113
竹内峠の周辺地図
- T点:竹内峠
- A点:分岐点[34.512862,135.677117]
- B点:○TT電波塔[34.5096,135.675931]
- C点:平石峠
Google Mapでは、狭道が表示されていません。そこでA点とB点の座標を記載しておきました。興味のある方は、上記の電子地形図を利用すると詳細に位置確認ができます。座標の使い方は下記のURLに書いてるので参考にして下さい。
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竹内峠 Pickup Photo
T点:竹内峠への旧道は、現在の国道166号(竹内街道)と平行しているので分かりやすい。
T点:旧道にある竹内峠は山影になっており国道166号を通行するドライバーは、その存在にすら気づくことなく通り過ぎて行く。どれだけの人が日本最古の国道(官道)と認識して通過して行くのだろうか。
T点:旧道は現在の国道より一段高所にあるので、竹内峠の位置から少し身を乗り出すと奈良県の市街地の風景を山間に見ることができる。
T点:竹内峠には、石碑が3つ並んで建っていた。
T点:この記念碑「鶯の関趾」は、故司馬遼太郎の筆により『我思ふ 心もつきぬ 行く春を 越さでもとめよ 鶯の関』と和歌が刻まれている。鶯の関とは、ウグイスの名所を表している。司馬氏の母の実家が竹内にあり、著書「街道をゆく」で「この道は国宝に指定されるべき道であろう」と記している。
T点:「従是東 奈良県管轄」大阪府と奈良県の国境の碑
T点:明治19年に建てられた「竹内嶺開鑿碑」。「明治十年から十五年にかけて峠道は拡幅改修され昭和五十年県道から国道一六六号線に昇格・・・」と刻まれている。
T点:竹内峠からほんの少し大阪府側に行くと、左手に平石峠へ通じる平石峠街道が接続している。
T点:分岐点にある道標に平石峠まで徒歩40分と書かれていたので、日本最古の街道筋の峠間を歩いてみたくなり、セローを停めてバイカーからハイカーに変身した。
A点:日頃の運動不足を痛感しながら歩いていると、分岐点が現れた。左に進むと平石峠、右は○TTの電波塔への道になっていた。暑さに負けて、もうここで引き返そうかとも考えたが、余りにも情けないのでもう少し頑張ることにした。
A点~C点:蜘蛛の巣を撮ったりして、「休憩ばかりしているのではないぞ!写真を撮っているのだ!」と自分自身をごまかしながら歩く。
A点~C点:5分後、やっぱり自分にはバイクが似合っている。そうだ自分は、バイカーなんだと、元来た道を引き返えし気になっていた○TTの電波塔を爽快にセローで目指す。
B点:「○TTの電波塔=眺望が良い」の私的公式に従い、手前の斜面をセローで駈け上がり裏手に回り込んでみると・・・。
B点:ビンゴ!パーフェクト リバティー教団、清原・桑田の母校である富田林市のPL教団の大平和祈念塔がハッキリと確認できる眺望が眼前に広がっていた。
B点:これぞオフロードバイクの特権。予期せぬ光景に出合える喜びを独り占めする。
奈良県と大阪府の峠を地図上にマッピングすると、そこには府県境ラインが浮かんできます。興味のある方は、峠マッピングを見て下さい。
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竹内街道・竹内峠の四方山話
- 日本書紀に推古朝21年(613)聖徳太子の命により、官道として堺より大和飛鳥への大道として設けられたと記されている。
- 日本最古の国道であり、丹比道(たじひみち)と呼ばれていた。
- 遣隋使や遣唐使、渡来人らが往来したシルクロードの終点。
- 葛城28越の一つである。
- 歴史国道として国土交通省が選定した道である。
竹内峠の位置図
編集後記
今年は夏の長雨が続きましたが既に夜風が気持ちいい季節になりました。いよいよ本格的なツーリングシーズンの到来です。皆さまは、もう計画を立てられているのでしょうか?私は、兵庫県のハチ北方面へ林道三昧キャンプツーを目論んでいます。